クレイグ・ケリーとは何だったのか
クレイグ・ケリー
スノーボードの神と呼ばれた男です。
競技としての滑りではなく、人に感動を与える滑り。
表現の手段としてのスノーボード。
彼はまさにスノーボード界の革命家でした。
僕もそんな彼の滑りに魅了された一人です。
バートンの板で滑る彼を見て、僕はスノーボードを始めました。
大学時代に長年親しんだスキー板から、スノーボードの板に履き替えた時、とても辛かったことを覚えています。
辛かった点は二つあります。
一つは、思うように滑れなかったことです。
何と言ってもいきなり初心者ですから。
もう一つは、スノーボードがマイナーだった故に、スキー場も限られていました。
そして、当時スノーボードはスキーヤーから煙たがられる存在でした。
1987年末に原田知世主演の映画「私をスキーに連れてって」が公開されてから、少なく見積もっても5年~10年はスキー黄金期が続いていましたので致し方ありません。
でも、今やスノーボードはスキーと全く同等のステイタスです。
米国ワシントン州のマウントバーノン。
とても長閑で静かな街です。
マウントバーノンのRoozengaarde Display GardenとTulip townは知る人ぞ知る名所です。
広大な土地に、これでもかと言うぐらい色とりどりのチューリップが埋め尽くされています。
どちらも甲乙付け難い米国屈指のチューリップ畑です。
1966年、彼はここで生まれ、15歳でスノーボードを始めました。
そして1986年から1990年代初頭まで多くの大会を制しました。
彼がスノーボードのトップブランドであるバートンと契約を結んだのは1989年です。
バートンは世界発となるクレイグ・ケリーのシグネチャーモデルをリリースしました。
当時はシグネチャーモデルなんて発想が無かった時代です。
その後は、多くのブランドが、専属のトップライダーが使用するシグネチャーモデルを商品化しました。
バートンはクレイグ・ケリーと共に確固たる地位を築きました。
バートンを劇的に進化させ、ブランド価値を高めたのも彼の功績の一つです。
ビデオやフォトグラフでスノーボードの素晴らしさを表現したのも彼が最初です。
冒頭で話したように、90年代初頭はスノーボードの歴史がまだ浅く、マイナーなスポーツとして見られていました。
でも今やスノーボードは世界的にメジャーなスポーツです。
そして大会ではなく、ビデオの世界で活躍するプロのライダーも多く存在します。
その礎を築いたのは紛れもなく彼です。
圧雪されていない雪山。
「バックカントリースノーボード」
雪山本来の地形を感じながら滑り降りる時、水の上のような浮遊感を味わうことができます。
ゲレンデではない自然の雪山を滑るには、雪崩に巻き込まれないための知識が必要になります。
彼はバックカントリーガイドとなり、安全に雪山を滑るにはどうすればいいか常に実践してきました。
2003年1月20日。
ガイド中に雪崩に巻き込まれた彼は、二度と帰らぬ人となりました。
彼が愛したカナダのブリティッシュコロンビア州レベルストークでの事故でした。
人が死ぬときに後悔することって何でしょうか?
愛する人に「ありがとう」と伝えられなかったことです。
いつ何が起きるか予測不可能なのが人生です。
毎日を大切にしないといけないですね。
偉大な功績を残したクレイグ・ケリーが、何も後悔していないことを願っています。
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